花が散るまで、煌めきに満ちたおとぎ話をしよう

やっほ〜!みるです!

IZ*ONEの解散が公式に発表されましたね…正直あの1年前の事件の影響などで延長の線もかなりあると信じていたので、私のハートのアンテナもビビビどころではなくビキビキのバキバキなんですが、今のうちにIZ*ONEに対して感じていることをブログに書き連ねておこうと思います。

 

 

突然ですが私の座右の銘は「諸行無常」で(とんでもTMI)、とにかく儚いものに美しさを見出す性分なんですけど、アイドルって必ず終わりのある儚さの権化じゃないですか!日本の某大手事務所ドルとかだとあまり感じないかもしれませんが、地下ドルなんて常に脱退解散の連続ですし。K-POPも市場があまりに大きくなりすぎたあまり常にアイドルが淘汰されもはや「解散」という終止符を打って貰えないまま表舞台から消えてしまうアイドルも多いし。厳しい世界……

 

私がアイドルというものを定義づけるなら「人間の煌めきだけを切り取って見せる存在」だと思っています。そもそもアイドルの語源である「idol」という言葉は直訳すれば「偶像」であり、アイドル文化というものは一種の偶像崇拝だと受け取れます。若くて、可愛い(かっこいい)、一般的に人生において1番煌めいている瞬間を偶像として追いかける、というね。アイドルが人間でありながら恋愛なども禁じられ偶像として見られるというのは私達の想像以上に大変で苦痛なものなのかな…とか思っちゃうよね…

 

そして本題のIZ*ONEですが、彼女達は初めから2年半という期限が与えられ、明確に終わりが示されている。ただでさえ永遠ではないアイドル活動に、更に明白な終わりがあるという認識はIZ*ONEのメンバーに普通のアイドル以上の神秘的な儚さをもたらしているような気がします。

例えば、IZ*ONEのみんなには「常に今が最高潮でなくてはならない」という気迫を他のアイドル以上に感じるんですよね。特にひぃちゃんがどんな時でもメイクに気を使って常に自分のベストな姿を見せようとしているのも、元々ひぃちゃんが真面目な性格なのも勿論あると思うけど、この「期限」も大きく関わっているんじゃないかなあと思ったりします。ドキュメンタリー映画で周りもみんなすっぴんなのに1人メイクしてるの観た時とかそれだけで泣いちゃったよ、ひぃちゃんモンペなんで。

そしてそれが彼女達のみならず周りの製作者、ファンにも「今の輝かしい瞬間を味わわないといけない」という一種の共通認識を生む。

 

「終わりあるものは美しい」「美しいものには必ず終わりがある」そんな言葉の体現がIZ*ONEだなあと私はいつも思います。アイズワンは花三部作をはじめ何かと花に例えられたコンセプトが多いですが、それが美しく咲き散っていく花とIZ*ONEの共通項ですよね。彼女達もいつか表舞台から降りて、美しく散っていくであろう一つ一つの花ではあるけれど、今IZ*ONEとして集まって満開に咲き誇る姿を見せてくれている。勿論彼女達が2年半の活動を終えIZ*ONEという花が散ったとしても、彼女達はまた新しい場所で可憐に咲いてくれるに違いないけれど。

桜は春にしか咲いてくれないから、紅葉は秋にしか燃えるようには色づいてくれないから、人々はその季節になれば美しさを存分に味わうように、彼女達がIZ*ONEとして輝いてくれるのは今この瞬間しかないから私達はその儚さを享受することにのめり込んでしまうだろうね〜

 

彼女達がデビューにどれだけの夢物語を描き、どれだけの努力をしたかはPRODUCE48を観れば明らかでした。そしてデビューした先でも票数操作問題での理不尽な活動停止、そしてやっとIZ*ONEというおとぎ話がまた紡がれるかと思えば、直接会うことすらままなくなってしまったこの社会情勢。IZ*ONEのメンバー達が涙を流しながら語った夢のような活動が出来ていないことがとにかく心苦しいけれど、活動停止中も自分の未来を信じ、少しもビジュアルを崩さず、最早停止前以上の姿を見せてくれたメンバーのアイドルへの思いは、彼女達を照らし「永遠に沈まない」美しいものです。IZ*ONEという花が散るまでの残り限られた時間、貴方達12人と素敵な夢を見ていたいな。